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ひきこもりの暇つぶし

全力でインドア派

吉本隆明『ひきこもれ』を読んだ

http://www.flickr.com/photos/63379251@N00/394359583

photo by ores2k

戦後思想界の巨人といわれる吉本隆明氏。『ひきこもれ―ひとりの時間をもつということ』という本は、彼の「一人で考え事をする大切さ」に関する考察が面白かったので紹介します。

 一人でじっくり考える時間を持つことの大切さ

「ひきこもり」を社会問題として取り上げているテレビ番組を観た吉本氏は違和感を感じたそうです。

コミュニケーション能力のある社交的な人がよくて、そうでない奴は駄目なんだと無意識に決めつけてしまっている。そして「ひきこもっている人は、将来職業につくのだって相当大変なはずだ。社会にとって役に立たない」と考えます。でも、本当にそうでしょうか。

たしかに、現代では仕事を始めとした様々な場面でコミュニケーション能力(コミュ力)が重視されています。しかし、吉本氏は次のように考えています。

ぼくは決してそうは思わない。世の中の職業の大部分は、ひきこもって仕事をするものや、一度はひきこもって技術や知識を身につけないと一人前になれない種類のものです。

人前に出るような仕事は、ごく一部であるため、そこまで「ひきこもり体質」を問題視するものではないのだそう。それだけでなく、一人の時間が「価値」生み出すために大切です。

自分に通じる「第二の言語」をもつ

一人の時間を持つことで何が生まれるのか。吉本は「第二の言語」という考え方を基にして、次のように述べています。

他人とコミュニケートするための言葉ではなく、自分が発して自分自身に価値をもたらそうような言葉。感覚を刺激するのではなく、内臓に響いてくるような言葉―。ひきこもることによって、そんな言葉をもつことができるのではないか、という話です。

ぼくは、言語には二種類あると考えています。

ひとつは他人に何かを伝えるための言語。もうひとつは、伝達ということは二の次で、自分だけに通じればいい言語です。

一つ目の言語というのは、何かを人に伝えて意味を共有する言葉。そして、吉本氏が重視している二つ目の言語というのは、他人に伝えることは二の次で、思いもよらず口に出てしまうような言葉。その思いもよらない言葉が自分にとっての「価値」になり、「ひきこもり」の人はこうした経験を多くしているそうです。

吉本氏がものを書き始めた理由

ぼくがものを書き始めたのは、ひきこもり性だったからです。

たとえば、友だちと話をしていても、相手の言うことはよくわかるけれども、自分の言ったことが相手に通じていないように思えてならない。孤独好きで非社交的でしたから、うまく伝えられないのです。どうしたら通じるんだろうと考えて、これはおしゃべりするよりも書いたほうがいいのではないかと思いついた。

 いまのぼくには「おれはひきこもりだ」と威張る権利はないのかもしれません。でも、いまでもひきこもらなければできないことを大事にして、少しずつ考えたり書いたりはしているのです。ぼくが「ひきこもりは正しいんだよ」と言うときに、自分の実感として、少なくとも嘘はついていないという思いがあります。

「ひきこもり」だったからこそ文章を書き始め、「第二の言語」の大切さを知るとともに、自分の中で「価値」が増殖していくことを感じた吉本氏。晩年もひきこもって考えることを大切にしていたようです。

 

ひきこもれ―ひとりの時間をもつということ (だいわ文庫)

ひきこもれ―ひとりの時間をもつということ (だいわ文庫)